ナセル以降のエジプトを概観

ナセル政権以降のエジプトに起こった大きな出来事を整理してみました。本当に大きな出来事をざっくりと整理したという感じです。

ナセル政権時代の出来事

冷戦下での中立外交

冷戦期に、エジプトは西側にも東側にもつかないという対応を取りました。同様の態度をとっている国と非同盟運動という組織を作っています。でも、これって、同盟じゃね?

要するに、ソ連、アメリカに対抗する第3極を作っていたわけですね。

汎アラブ主義

汎アラブ主義というのは、簡単に言うと、アラブ世界の統一の事です。ナセルは汎アラブの中心的な自分物の一人でした。

スエズ運河国有化と第二次中東戦争(スエズ戦争)

1956年に英米両国がアスワン・ハイダムの建設援助計画を撤回しました。これに対抗するように、ナセルはスエズ運河の国有化を宣言しています。

これに切れた英仏がイスラエルとともにエジプトに侵攻したのが第二次中東戦争です。スエズ戦争とも呼ばれています。

戦争自体は、エジプトの惨敗でした。イスラエル軍の死者197人、イギリス軍の死者56人、フランス軍の死者10人に対して、エジプト軍は死者を1,650人も出していることからもよく分かります。

しかし、実質的に勝利をしたのはエジプトと考えて良いでしょう。というのも、英、仏、イスラエルは、国際世論を受けてやむなく撤退しているからです。英仏は、スエズ運河も失っています。

また、このとき英仏側だったはずのアメリカも、エジプト側についています。アメリカに後ろから撃たれるような形になったわけですね。

アラブ連合共和国

1958年にシリアとの間にアラブ連合共和国を作っています。汎アラブの一環というわけですね。

ただ、アラブ連合共和国は長続きせず、1961年にシリアが脱退する形で解消しています。エジプトはアラブ連合共和国の名前を1971年まで使っていました。

第三次中東戦争

1967年に起こった第三次中東戦争は、6日戦争とも呼ばれています。エジプトを含むアラブ諸国はイスラエルにあっという間に破れてしまいました。

サダト政権時代の出来事

第四次中東戦争

イスラエル側から見ると、中東戦争の中で軍事的に最も苦しんだ戦い。ただ、最終的にはイスラエルの勝利で終わります。

この戦争中に、アラブ側を支援するためにOPEC が石油価格の引き上げを行っています。その結果、第1次オイルショックを引き起こしています。

キャンプ・デービッド合意

キャンプ・デービッド合意というのは、アメリカ大統領の大統領山荘(キャンプ・デービッド)で交わされた、イスラエルとエジプト間の合意のことです。イスラエルとエジプトの平和条約締結協議の開始、シナイ半島からのイスラエル軍の撤退、パレスチナ人の統治について協議の開始などが決まりました。

サダト暗殺

キャンプデービッド合意は、和平のプロセスの重要な一歩でした。しかし、サダトのこうした姿勢は、「パレスチナのアラブ人同胞に対する裏切り」と考える人もいました。

1981年10月6日、第四次中東戦争開戦日の戦勝記念日のパレードを観閲中に、イスラム復興主義過激派のジハード団に所属する中尉によって暗殺されています。

ちなみに、イスラエルとの接近により、他の中東諸国とも溝が生まれているという評価もあります。

ムバラク政権時代の出来事

エジプト革命 (2011年)アラブの春

アラブの春により、ムスリム同胞団が政権を握る

ムルシー

アラブの春で誕生した政権。ムスリム同胞団出身。

2013年エジプトクーデター

ムスリム同胞団政権のやり方に反発した軍が、クーデターによりむるしー政権を打倒する。

マンスール

クーデター後の暫定政権。

シシ

現職。

とりあえずツアーが楽かなあ

始めてエジプトに行くなら、とりあえずツアーが楽でしょうか。H.I.Sのツアーをチェックする限り、5日間で10万円ちょっとからという感じですかね。もちろん時期にもよるのでしょうけど。

あ、ちなみに、添乗員が同行するプランです。

興味がある人は、チェックだけでもいかがでしょうか。

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