2013年の7月にエジプトでクーデターがありました。新聞やテレビでも大きく取り上げられたので、ご存知の方も多いでしょう。
でも、これって、不思議な感じがしませんでしたか?というのも、その数年前にも大きな市民運動があって当時の政権が倒れているのです。
と言うことは、こんな短い期間に、革命的なことが2回も起こったということでしょう。
一体何がおこったというのでしょうか。ちょっと確認してみましょう。といっても、よく分からない点も多いのですが。
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ジャスミン革命からの流れ
2010年12月18日から2011年1月14日にかけて、チュニジアでジャスミン革命が起こりました。この革命によりベン=アリー大統領が政権を失い、サウジアラビアに亡命しました。23年にわたる長期政権が終わったわけです。これがジャスミン革命です。
革命と言っていますが、市民デモの結果として政権が倒れたという言い方の方がイメージしやすいようです。SNSなどを通じてデモの会場に市民が集まり、政府を追い詰めていきました。革命と言う割には、穏やかなやり方です。
とは言え、犠牲者が出なかったわけではありません。政府は軍隊や警察を動員し、市民の殺傷を行っています。最終的には250人以上の死者が出ているようです。
大規模な武力衝突は無かったものの、一定の犠牲者は出たということでしょうね。
他のアラブの国でもジャスミン革命に呼応する動きがありました。その一つがエジプトでも起こったわけです。
2011年1月25日から市民デモが始まり、2月13日にムバラク政権が倒れています。つまり、チュニジアのジャスミン革命の終了から10日あまりでエジプトでも政権打倒の動きがあったわけです。
何でムバラク打倒の動きがあったのか?
2011年の革命について調べていたところ、ちょっと分からない部分がありました。
まずは、ウィキペディアの「エジプト革命 (2011年)」から引用してみましょう。
エジプトはムバーラクのもと、2000年以降に経済の自由化を推し進めた。その結果、年間5 – 7%の経済成長率を維持し、2010年も5.3%と推測されている。だがその一方で若年層の失業率は高く、20代での失業率は2割という試算もある。国民の約2割は1日2USドル以下で生活しているとも、4割以上が1USドル以下で生活しているとも言われ、物価高も不満の要因となってきた。
ということで、年5~8%の経済成長をしているにもかかわらず、多数の死者が出るような革命的な政権打倒の動きがあったわけです。これがちょっと信じられないんですよね。
もちろんこの成長率は実質成長率でしょうから、かなりの高度成長だと思っていいはずです。中国とかインドと並ぶような経済成長です。
それなのに、その経済成長を主導している政権を潰してしまったわけですね。貧富の格差の問題があるとは言え、かなり意外な感じがしました。
これだけの経済成長があれば、貧しい層にもそれなりに恩恵があったと考えられます。というか、この政権を潰してしまえば、貧しい層が余計に貧しくなる可能性も小さくないでしょう。
ということで、経済的な側面だけで考えると、かなり不思議です。
5~7%の「実質」成長率であることを一応確認してみました
ちなみに、ウィキペディアのこの項目では、経済成長が名目なのか実質なのかが明示されていませんでした。でも、実質か名目かと言うのは、かなり大事な問題です。
仮に名目の成長が5~7%だったとすれば、インフレに負けて実質の経済成長はマイナスだった可能性が大きいでしょう。エジプトのインフレ率は10%を越えていますからね。
そうであれば、確かに国民の不満が募る可能性もあります。なにせ、実質ではマイナス成長ですから。
そこでちょっと調べてみましたが、どうやら実質でGDPは伸びていたようですね。ムバラク政権の末期には、確かに経済は好調でした。
だとすると、こんな派手な政権転覆を目指す理由が分かりません。少なくとも、マクロでの経済政策は上手く行っていた可能性が大きいです。
経済が理由なのだろうか?
と言うことは、やっぱり再配分に失敗したということかな。国が経済成長するのとは反対に、自分たちの生活が苦しくなっていたら、革命も起こりやすくなりますよね。
あるいは、経済成長が賃金のアップにつながらなかった可能性もありそうですね。少なくとも、インフレ率に追いついていなかった可能性は大きそうです。これも、やっぱり、国民の不満が募る要因になりえます。
もちろん、その他の政治手法に対する反発だった可能性もあります。集会の禁止など、独裁政権による抑圧はあったようですから。
でも、独裁はこのときに始まった話ではないんですよね。ですから、経済成長があれば、ある程度は目を瞑れたはずです。
ざっくりと調べられるのは、この程度でしょうか。個人的には、いまひとつ釈然としていません。
ムバラク政権転覆後の動き
2012年2月にムバラク政権が終わった後、軍最高評議会というところが暫定政権を作ります。このあと、紆余曲折を経ますが、2012年1月3日に人民議会選挙が行われ、5月23日から24日にかけて大統領選挙が行われます。そして6月30日に、ムハンマド・ムルシーが大統領に就任しています。また、2012年には新憲法も成立しています。
しかし2013年7月3日に、軍によるクーデターが起こっています。ということは、ほぼ1年で民主政治が終わってしまったことになるわけです。
この後、2014年に憲法を再び修正し、エルシーシ国防相が大統領に就任しています。日本と違って、憲法がコロコロ変わっているのが興味深いですね。ちなみに、これを書いている時点では、まだ議会は開いていないようです。
軍のクーデターが起きた理由に関しては、色々なところで説明がされています。でも、あいまいな部分も多く、正直なところよくわかりません。
とりあえず言えるのは、様々な勢力が権力争いをしているという点でしょうか。コプト教というキリスト教勢力、イスラム教の世俗派、ムスリム同胞団、イスラム教聖職者、旧大統領派などが縄張りを争っているようです。
現時点でとりあえず気になるのは、今後政治が落ち着き治安が回復するかと言う点でしょうか。外務省の海外安全情報をみても、かなり危険な状態であるようです。
とりあえずツアーが楽かなあ
始めてエジプトに行くなら、とりあえずツアーが楽でしょうか。H.I.Sのツアーをチェックする限り、5日間で10万円ちょっとからという感じですかね。もちろん時期にもよるのでしょうけど。
あ、ちなみに、添乗員が同行するプランです。
興味がある人は、チェックだけでもいかがでしょうか。

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